LOGIN「えっ、…………なに、って……」
話の輪からはずれて一人自分の考えに没頭していたこともあって、つい口ごもってしまう。そんなマテアの姿を照れととったイリアが、思わせぶりな顔をした。「ラ、ヤ、よ。決まってるじゃないの。
あなたはラヤとなんでしょう?」
「そうそう。マテアの<
ね。今も彼のこと考えてたんでしょう?」
<
できればそれ以上問うのはやめてほしいとの意をくんでほしかったのだが、伝わらなかったらしい。あるいは、却下されたのか。すぐさまカティルが身をのり出してこう言った。
「ラヤの方だってそうよっ。マテアを見てるだけで、彼の青紫色した<
「そうね、あれは誰の目にも明らかだわね」
「そうそう。だからねぇっ、白状なさいよ」
「なんて言われたの? 出発前に」
みんな、興味津々との目でマテアに注目する。エノマは何も口にしなかったが、彼女も少なからず興味を持っているのは間違いない。気圧され、思わず後ろへ身を退きながらも、マテアはそのときの事を思い出して赤面した。
「やぁね、何もないわよ。あなたたちが思ってるような事なんて、何も……」
視線から逃げるようにそっぽを向いて、口ではそう言いながらも<
「やっぱり!」
「いくら隠そうとしたって無駄なんだからっ。ほら、言いなさいよ。なんて言ったのよ、彼。みんなちゃんと正直に話したのに、一人だけ隠すなんて、ずるいわマテア」
「わたしたちの間で隠し事は許さなくてよ」
ちゃんと聞くまで逃さないと、皆の目が言っている。とても話題のすりかえはできそうにない。彼女たちの主張はその通りだとマテアも思うし。観念して、そのときのことを打ち明けようと口を開いたとき。
「あら、それはまだわからないわよ」
突如背後から飛来した言葉が、彼女の喉から言葉を奪っていった。
その、自分への敵意にあふれた口調と<
硬直したマテア以外の者が一斉に振り仰いだ先には、一人の女が立っていた。
草の海の中、風に揺れる豪奢な金の髪と青銀の瞳。マテアたちと同じく、彼女もまた月光聖女である。
「サナン……」
エノマが眉根を寄せて名を口にする。その中に含まれた非難に気付かないはずはないのに、サナンは気にする様子も見せず、腰元に添えていた手で髪を後ろへはらいこんだ。
「なによ、事実じゃない。あなたたち、楽しい事ばかりに目がくらんですっかり頭の中がボケてるんじゃないの? <
「サナン!」
その先に続けられる言葉を逸速く読んだサリアルが鋭く制止の声を発する。けれど、悪意に満ちたサナンの言葉はその程度のもので止まることはなかった。
自分を見ることもできずに固まっているマテアの背を見据え、勝ち誇ったように続ける。
「ラヤの<
でもね、それってつまり言いかえると、脆弱ってことじゃなくて?」
考えたくなかったことを口にされ、マテアの心は一瞬で凍りついた。いくら見えない手で耳をふさぎ、考えないようにしてもその棘は抜けず、奥をめざして侵入してくる。
「サナン! ひどいわ!」
めずらしくエノマが大声でサナンを責めた。
「感情だって、十分作用するのよ! こんなに好きあってるんだもの、マテアとラヤなら絶対に一対になれるに決まってるじゃない」
「そうよ、ラヤの<
「エノマの言う通りだわ!」
カティルやイリアも同意を表す。
「さあどうかしら?」
マテアの様子から、自分の用いた言葉が十二分に効果を発揮しているのを確信したサナンは、快心の笑みを浮かべて口に手を添える。
「それはあくまであなたたちの『期待』でしかないんでしょ。現実の前では、個々の希望が常に叶うとは限らないっていうのは多々ある事だわ。それにあなたたち、一番重要なことを忘れてない? <
あなたたち、けっこう高望みしてるみたいじゃない? さっきからの話によると」
ぐっと言葉につまった者たちを尻目にサナンはマテアの方へ向き直った。はたしてその仮借ない真実の口で何を言われるのか――身を固くして顎をひいた彼女にサナンは顔を近付け、その耳元にやんわりと囁いた。
愛されなくてもいいなんて、嘘だ。 そばにいるだけでいいなんて、きれいごと。いつだって、愛されることを望んでいた。 おれを愛してくれ。 おれだけを見てくれ。 おれがきみだけのために生まれてきたように、きみが、おれだけのために生まれてきたのだったらよかったのに……。「……い、やあああああああああーーーーーーーーっ!!」 永遠と思えるほど引き延ばされた一瞬。 マテアは絶叫し、レンジュの元へ走った。 地に横倒れとなった彼の身を起こし、仰向ける。固く目を閉じたレンジュに意識はすでにない。 刃を刺したままでは死ぬのに時間がかかる。それをよく知っているレンジュは刺した瞬間刃を横に引きながら抜きとっていて、傷口からはどくどくと音をたてて大量の血があふれ出ていた。「いや……いやよ、レンジュ……」 マテアは震える両手を傷口にあて、血をなんとかして押し戻そうとする。己を染めていくレンジュの血という現実に、全身が痺れた。 外界を知覚する、あらゆる感覚がその機能を麻痺させ、真っ暗な闇に頭から飲まれていくようだった。 強すぎる動悸は、反対に心臓そのものがなくなってしまったような静寂と空洞を作り出す。 がちがちと奥歯が鳴り、涙があふれて視界がぼやけた。現実であると認めたくないあまり、気が遠くなりかける。「いや……。 おねがい、目を開けて……死なないで……」 本当は、わかっていた。レンジュを殺せないのは、自分の身勝手で他者の命を奪つことが許せないばかりではないこと。それを、恰好の口実にしていた。 認めたくなかったのだ、彼に意かれていることを。 自分が愛しているのはラヤだと、必死に思いこもうとした。 彼をサナンに奪われたくなくて、その一心で禁忌を犯してまで地上界
ラヤは嘘をつかない。 彼の言葉にも気持ちにも偽りはなく、きっと彼はその言葉通り、いつもマテアのそばにいてくれるだろう。彼の心のように透明で輝かしい<魂>でマテアを包み、マテアの心が常に穏やかであるよう尽くしてくれるに違いない。「帰りたい」 ぽつり。言葉が口をついた。「帰りたいわ、ラヤ。ずっとそう思ってた。月光界に帰りたい、って」 皆のいる、あの草原に。地上界も、レンジュも知らなかった、あの穏やかな暮らしに……。「そうだね。帰ろう。今すぐつれて帰ってあげる」 ふわりとラヤが宙に浮かび上がる。 さあきみもと、促すようにマテアに手を差し伸べたそのとき。マテアは背後に人の気配を感じて振り返った。 そこにいたのは、眠っているはずのレンジュだった。いつからそうしていたのか、天幕の入り口の柱に手をついて、じっとこちらをうかがっている。 峠を越えたとはいえ熱は下がりきっていないし、菌が完全に消滅したわけでもない。これで体力が落ちれば再び繁殖をはじめてその猛威を奮うだろうし、外の風にあたって別の菌に感染するということも十分あり得る。 傷口自体、うっすらと膜が張っただけで、少し衝撃を加えれば、ぱっくりとまた口を開けてしまうだろう。 そんな体で立って歩いたと知って、マテアの顔から一気に血の気がひいた。「レンジュ! だめよ、天幕の中へ戻って!」 ラヤの誘導に従って差し出していた手を引き戻して、レンジュに正面を向く。 レンジュの手に、銀の刃のきらめきを見たのはその刹那だった。『ルキシュ……。なぜかな。正気をとり戻して以来、きみの苦しげな心の声が響いてくるんだ。 きみがおれの中に入った<魂>とやらをとり戻そうとしてやってきたということも、それができなくて悲しんでいることも……』 きみは、優しい人だから。命が失われることの意味を、誰よりもよく知ってるから。「ああレ
後半、温かみに欠けた厳しい声音や、非難するような視線がちくちくと肌を差し、どうにもいたたまれなくなって、逃げ出すようにマテアは岩場を後にした。 気付かれない程度にそっと顧みると、ユイナの想い人は先までと変わらない場で立ちつくしている。 いやな予感が胸で渦巻いていた。 彼が話していたのは、レンジュに関してのことだ。とても真剣な、こわい眼差しで、それでいて淋しげな話し方だった。 レンジュに、何かあったのだろうか。 そう思うと急にこわくなって、ぴたりと足が止まり、前へ進めなくなる。今行こうと後から行こうと結果は同じで、ただ知るのが早いか遅いかだけの違いでしかないというのに、逃げ出したいほど膝が震えた。 このとき、もしユイナが通りかからず、『ルキシュ! やっとみつけた!』 と、呼びかけてくれなかったなら、マテアはいつまでもそこに立ち尽くしていただろう。 袖を引かれる形で天幕へ戻ったマテアは、うっすらと目を開けて自分を見ているレンジュを見て、うっと喉を詰まらせた。じんわりと目尻が熱くなり、目が潤むのが自分でもわかる。 レンジュの目は、今度こそマテアを見ていた。『やあ……』 枕元へ膝をつき、彼が自分を見ようとするあまり気道をふさぐことのないよう、真上から覗きこんだマテアを見て、かすれた声でレンジュは小さく咳く。『無事、だったんだね……』 指一本動かすのも辛いだろうに、よかったと、自分のために笑みを作るレンジュの気持ちが素直に胸に響いて、マテアは目をつぶった。 ぽろりとこぼれた涙が、レンジュの胸にあたって弾ける。 死の淵から戻ってきたばかりで意識が完全に機能していないのか、涙をぬぐおうとマテアの頬に触れかけた手を、横からユイナが掴みとめた。『ね? 言った通り、彼女は無事だったでしょう? さあもういいわね。峠を越えたとはいえ、まだしばらくは病人なんだから、もう寝なさい』 母親のように言って、彼の手をさっさと上掛けの下に押しこむ彼女に
どこへ行くともなく、マテアは歩いた。 体が借り物のように感じられ、ふらついて、足がもつれそうになる。転ばないようにと、そればかりに気を配って歩いていると、一度掘り返された後、再び埋められて盛り土になったようなものがいくつもある、変な場所に出た。(なにかしら、これ……) もっと近寄ってよく見てみようと一歩踏み出して、土のにおいに混じって嗅ぎとった死臭に足が凍りつく。 整然と並んだそれらの一番前に、花が飾られていた。その陰に隠れるように、少量の食べ物と水の入った容器。 突如、レンジュの姿が重なる。「ああーあ……」 マテアはじりじりと後ずさり、踵を返すや脱兎のごとく走り出した。 はらはらと涙がこぼれた。レンジュのところでもひとしきり泣いて、ぬぐわないでいたたため、頬がひりひりと痛む。一度息を吸いこみ、ぐっと腹に力を入れて止めるとおさまるかに見えたが、立ち止まった途端、またも熱いものがこみあげて、鼻の奥がツンとした。 西に傾いた月を見上げ、顔面を覆う。 声は出なかった。出ると思って開けた口からもれたのは、ちぎれるような息だった。 もしかすると、本当に泣きたいとき、声は失われるのかもしれない。 もう、何も考えることはできなかった。心臓も、臓腑も、何もかも、自分の内側がごっそりえぐり出されてしまったような、誕生して以来一度たりと感じたことのない、巨大な喪失感が、マテアを襲っていた……。『やあ。ここにいたんだ』 岩場で、一人ぽつんと膝を抱いて月を見上げていたマテアは、声に反応して振り向く。そこにいたのはハリで、マテアが自分に気付いたのを確認した彼は岩場まで歩を進め、同じように膝を抱きこんでその場に座った。 ここにきたということは、自分に何か用があるのだろう。 痺れた頭の隅でぼんやりとそう思って、出方を待つ彼女に向け、ハリは愛想笑いを浮かべようとし、うまくいかなかったのをごまかすように頭をか
差し出された手に握られていたのは、いつかの夜、なくしてしまった腰帯だった。 それがなぜここに? どうしてユイナが持っていたの? 持っていたとすれば、それはあの場にいたレンジュであるはず。 ユイナはきっと、レンジュから預かっただけなのだろう。これからはかすかにレンジュのにおいがするから……。 では彼はもしかして、あれからずっとこれを持っていてくれたというの? においが移るくらい、ずっとそばで? どきん、と胸が鳴る。 自分の物が長く彼とともにあったと思うと、気恥ずかしさがこみ上げた。 差し出されるまま受けとった瞬間、ちりっと熱い、痺れるような痛みが指先に走る。裏を返してみて、そこに走った裂け目とにじんだ血の跡を目にした瞬間、ぎゅっと胸が縮んだ。 これはレンジュの血だ。 直感した瞬間、マテアは見えない何かに背を突かれたように走り出していた。 ああ、なぜ今まで思いつかなかったのだろう。レンジュは、あんなにも不義者であったわたしでも、命賭けて助けにきてくれる優しいひと。無事保護されたからと、一度も顔を見せないようなひとではない。 そして、先からの背筋を伝う冷や汗や、指先が痺れるほどの不安感。 レンジュに何かあったに違いないのに! はたして予感は的中していた。 焼け残った資材や盗賊からとり戻した荷物などで作られた天幕の群れの中に一際おそろしさを感じる天幕があって、吸いよせられたように入り口をくぐる。大きめのランプを用いて照らされた内側では、すっかり血の気をなくし、敷物の上でぐったりと横になったレンジュの姿があった。 医師らしき男が脇腹にあてていた布をはがし、薬剤を塗布したものととりかえ、少女が枕元で額に浮き出る汗をぬぐっている。 己を冒し続ける苦痛にわずかばかり歪んだ面。呼吸は浅く、ごくたまに眉端がぴくりと反応する以外、なんの動きもない。 死んだように横たわるレンジュの姿を容易には受け入れることができず、マテアは天幕の入
夜明け近く、マテアは血痕を追ってきた隊の者によって発見された。 そのとき彼女は一人で、まるで彫像のように身じろぎせず雪の上に座していたという。 盗賊団首領・イルクの行方について訊いてみたが、もとより言葉の通じない彼女から何を聞き出せるわけもなく。知らせを受けて迎えにきたユイナに手を引かれて、隊まで連れ戻された。 不思議なことにイルクの物と思われる着衣一式が近くの雪上に落ちていたが、そこから立ち去った足跡はなく、このことに関して満足に説明できる者はいなかった。 ただし、衣服にはレンジュの報告通り左腹部に真新しい剣による裂け跡があり、大量の出血も雪上にみられることから、イルクの死はほぼ確定的とみられる。 それが、隊の出した結論だった。 ユイナに肩を抱かれて隊に帰りつくまでの記憶が、マテアにはなかった。 気付けば馬車の荷台に天幕を縫いあわせて作ったほろを被せただけの中に、毛布にくるまれて座っている。ふくらはぎの傷もあらためて手当てをされて、体中のすり傷に軟膏をぬりこまれていた。『ルキシュ、あなた本当に大丈夫なの? 顔色が悪いわ』 夕刻、食事を運んできたユイナが心配そうに覗きこみ、何度も訊いてきたけれど、とても疲れていて、応じる気になれなかった。 外界から隔離された荷馬車の中にいてもただよってくる、表の死臭に頭が重くふさがれ、ずっと気分が優れない。 外はずっと騒がしく、カラカラと車輪の回る音と、ざくざく土を掘る音があちこちでしていた。同じ調子でぶつぶつとつぶやき続ける長い声は、祈りのように思えて、マテアもそっと、いくつかの詩篇を口ずさんだ。 月光界に帰りたい……。 焼けつくように、そればかりを願う。 その思いはこれまでも常にマテアの中にあった。 心許せる友がいて。創世神リイアムとリオラムに仕え、その慈愛の光を受けながら祈りを捧げるだけで過ぎていた、平穏な日々。一喜一憂はあれど、自分で自分の心が把握できないほど乱れることはなかった。 ここへ来て、まだ